phoque's word

鶴は千年、亀は万年、シーラカンスは二億年。

アカウント(ID)の継続と信頼性について。

私がこのphoqueというハンドルを使うようになったのは、niftyに入会して3か月くらいたったころでした。それ以前のハンドルがあまりに恥ずかしくなったので、たまたま手元にあった和仏と仏和が一緒になったポケット辞典であざらしを調べ、字面も語感もなかなかよかったのでそれを名乗ることにしたわけです。以来20数年。

 

2ちゃんねるにしか書いていなかったごく短い期間を除き、ネットではほぼこの名前で活動してきたわけです。niftyはもちろん、netnewsでも、mixiでも、ウィキペディアでも、アンサイクロペディアでも(ちなみにアメーバにもphoqueでアカウントとってあるけど使っていない)。たぶんgoogle+でもそうだったかと。たまたま残念なことに、現在のメインフィールドであるはてなとtiwitterでは、先をこされていたので違うアカウントなわけだけれど、それでもtwitterでは私だとわかるだろうし、はてなではブログやダイアリーのタイトルにphoqueと入れることで私だとわかるようにしています。人間関係が結構偏っている自分の場合、本名よりphoqueのほうが通りがよかったりする、という状態がずっと続いているわけですが。

 

この名前もひところはボロクソに言われたりしていた時期があって、名指しで死ねと言われたりとか、ボス的な人に敵認定されてハブられたりとか、うまいこと同情を買って気に入らない人間を陥れるタイプの人にハメられたりとかあったのですが、それらの人は今ネットで少なくともその当時と同じ名前では活動していなくて、かたや私はずっと、この名前でやってきてるわけです。ののしられても貶められても踏みとどまった結果として、今の私があるわけです。

 

で、さて。これから書くことは特定の人に対する不信感です。その人は、ツイッター上ではファンも多く(フォロワー数も私の数倍~十数倍くらい?)言っていることもたいていは真っ当であり、かといって堅苦しくなりすぎもせず、おもしろい人ではあったのです。

ちょっと前、その人は唐突にアカウントを消しました。その人がアカウントを消すのは二度目。前回は予告というか別れの挨拶をしてから消えたのですが、今回は本当に唐突でした。何があったのかはわからないし、そもそもアカウント消そうが作ろうが自由っちゃー自由なわけですが。

しかしその人は今回もまた、戻ってきました。ブランクの期間は前回よりも短かったと思います(たぶん。最初のアカウント消去→復活の期間がどのくらいなのか正確なところは把握できていないし)。そして、何事もなかったかのように、前と同じように、時事問題に対する鋭いツッコミだの、おちゃらけネタだのをやっていらっしゃるようです。

 

ようです、と書いたのは意味があります。これは個人的な感情であり、他人に理解されにくい類のことであろうと思うのですが、私は匿名に近い形でのネットにおいて、アカウントあるいはIDの継続性、信頼性というものに重きを置いているのですね。中の人が同じであることが明白であるにしても、アカウントなりIDなりを変える人は、私にはあまり信用ができないのです。なので、復活後のその人のツイートは、読む気になれないのです。私にとってその人の信用は、二度目の復活で、かなりマイナス側に振れた、のです。だから、読む気にならない。共通のフォロイーフォロワーも少なくありませんからRTされてくることもあるのですが、それも読む気になれない。

 

身ばれとかそういうことなのかもしれません。であれば、いたしかたないのかもしれません。でも、であるとするならばよけいに、以前のアカウントとまるで同じ言動を繰り返していたらいずれまたすぐに身ばれするのではないかと。

 

二度目のアカウント消去のとき、私はその人の身を案じていました。ですが、いつのまにか復活していたその人を見た時には、なんというか、悲しくなりました。ああこの人とは理解しあえない。わたしが大事だと思っているIDの継続性も信頼性も、この人にとっては簡単に変えられるものでしかないのだな、と。

 

まあこんな気持ち悪いこと考えてるのは私くらいでしょうけどね。